プロフィール
当ブログの運営者いもとあきら(@imoto_akira)の詳細プロフィールです。
※この記事は2021年の10 月に更新しました。
当ブログやSNSで僕のことを知り「いもとあきらってどんなやつなんだ?」と興味を持ってくれた方に向け、僕の生い立ちや経歴を書いていきたいと思います。
僕の現在

僕は現在、フリーのWebライター兼ブロガーとして活動しています。
1996年生まれの25歳、B型。 好きなことはバドミントン、ゲーム、アニメ、筋トレ、バイク、キャンプなど。
生い立ち
幼少期、小学生時代は活発という言葉では言い表せないほど元気いっぱいというか、生意気なガキンチョでした。
母親に「人間スピーカーめ」といわれるほど、常に騒ぎまくっていた記憶があります。
年を重ね、安定思考になる
そんな僕も中学、高校と年を重ねるにつれ、少しずつ落ち着いていくように。そして、高校三年生になったタイミングで、自分の将来についてアタマを悩ませるようになります。
「やりたいことも特にないしなあ~」と思いながら高校の図書室においてあった”職業大辞典”のような本を本をパラパラとめくっていたときのこと。
作業療法士とは患者さんとキャッチボールをしたり、一緒に手芸を行うことで、からだの機能を回復させる仕事です。
というような一文が目につきました。
キャッチボールとか手芸をやってお金がもらえるの!? なんてゆるくて楽しそうな仕事なんだ!
と思ったのが作業療法士に興味をもったきっかけでした(笑) 最終的に作業療法士を選んだ決め手は「国家資格=安定した生活が送れる」と思ったから。
無事に専門学校へ入ったあとは、リハビリテーションに関する勉強をみっちりすることに。勉強量の多さに白目をむきながらも、人生で初めてマジメに勉強をします。そうして留年することもなく、ぶじに国家試験に合格します。
専門学校を卒業した僕は、希望していた精神科領域で働けることに。新入社員の僕はやる気と希望に満ち溢れていました。 これからは心の病に苦しむ人たちをどんどん治して、バリバリ働いて、情熱大陸に出るくらいの作業療法士に俺はなる!と。
現実に打ちのめされる
入社式では新入社員代表のスピーチをし、僕の新社会人生活はこれ以上ないくらい順調なスタートでした。 しかし、新社会人として希望を胸に、目を輝かせていた僕は現実に打ちのめされます。
あまり具体的なことは書けませんが、上司との人間関係、ミスが許されないプレッシャー、遅くまでのサービス残業、終わらない仕事を休日にやる日々、リハビリテーションに対する理想と現実とのギャップ、etc……。
夜家に帰ると、ご飯を食べ、風呂に入り「明日も仕事か嫌だな……」と思いながら次の朝を迎える、という地獄のループを繰り返します。目をキラキラ輝かせていた入社時とは一転し、僕は数か月で心身ともに消耗しきっていました。
なんで俺は休みの日にまで仕事をしてるんだ? 仕事が時間内に終わらないのは俺が無能だから? 仕事を辞めたい、でも社会人1年目なんて辛いのは当たり前、今を乗り越えない限り立派な作業療法士になんてなれない。 そもそも入社して数か月で辞めた人間なんて、どこも雇ってくれないかもしれない、だから逃げることは許されない。
こんなことを毎日考えていました。
そして、入社して3か月経った7月のこと。 僕は上司と面談をすることに。 どんどん疲弊していく僕をさすがに上司が見かねたのでしょう。
面談室に入ると、上司が言いました。
「今の仕事で何か辛いことはあるか?」
その言葉をきいた瞬間、自分のなかの糸がプツンと切れ、号泣してしまいました。 人前で泣いたのなんていつぶりかわかりません。 しばらく泣いたあとで、僕は上司にすべて打ち明けました。
上司との人間関係がうまくいってないこと、残業が辛いこと、休日も仕事をしていること……仕事を辞めたいと思っていること。
上司は「対策を考えてみるから一度ゆっくり休め」といってくれました。その日僕は早退することになり、緊急の対応として10日ほどの休みをもらうことに(超迷惑なやつ)。
休んでいる間、いろんなことを考えました。
- こんなに周りに迷惑をかけた自分に戻る居場所なんてあるのだろうか、職場に戻るのが怖い
- 「仕事ができないやつ」というレッテルを貼られてしまった
- 1年目にして出世コースから外れてしまった
などなど。
上司からは毎日「仕事を続けられそうか?」と電話が来ていましたが「辞めさせていただこうと思っています」とそのたびに答えていました。 しかしその後、気分が落ち着いた僕は悩みに悩んで、結論を出します。
もう一回やり直してみよう 、と。
この結論に至ったのは「辞めるのはいつでもできる、それに今回の件で学んだことを活かせば、やり直せるかもしれない」と 思ったから。
「あいつは仕事のできないやつだった」と思われたまま辞めるのは自分のプライドが許さない、という意地もありました。職場に復帰し、最初は気まずさと申し訳なさでいっぱいでしたが、僕は再び作業療法士として働きます。
上司が仕事量を見直してくれ、残業時間がグッと減り、休日に仕事をすることもなくなりました。 全体的に仕事のストレスが緩和され、順調な毎日を送ります。しかし、それも長くは続きません。
1か月、また1か月と時が経つごとに任される仕事の量は増えていきました。 徐々に残業が増え、ストレスがたまっていく日々。以前キャパオーバーしたときは「仕事がさばけない自分が悪いんだ」と思っていました。
しかし、そのころには仕事もだいぶさばけるようになり「この仕事量はそもそも業務時間内には終わらない」ということに気がつきます。
その時、僕は確信しました。けっきょく、職場も人も何も変わらない。数か月たてばすべてもとに戻るのだ、環境を変えることなんて、一人の人間にはできない。
環境を変えられないなら、自分が変わるしかない、と。「この職場にいても自分が幸せになることは一生ない、今度こそ仕事を辞めよう」と心に決めました。
あれからやれるだけのことはやった、もう心残りはない、と思ったから。社会人1年目の1月に、上司に仕事を辞める旨を伝えました。すると役職の方と面談をすることに。
「お前はあまい、入社して1年たたずで辞めたようなやつを雇う病院があると思うのか、もう少し頑張れ」 そんなことも言われたけど、まったく聞く耳を持ちませんでした。
退職の意思がまったく変わらない僕に上司は「それなら部署移動をしてみないか」と提案します。 僕はもう退職するつもりだったので、その提案を断っていました。
「1か月部署移動してみて合わないと思ったらやめていい、そのときは俺ももう止めはしない」そう役職の方にいわれ「そこまで言うなら、この際1か月だけ新しい部署を体験してスパッと辞めてやる」と決断します。
最高の環境で働くことに
そうして2月からは新しい部署に配属されました。「まあ1か月しかお世話にならないけどなあ」なんて思っていたのですが、 その部署は、あろうことか最高の職場だったのです。
スタッフは優しく、仕事の量も適切で本当に働きやすい部署でした。 環境が変わるだけでここまで違うものなのか、と衝撃を受けたのを覚えています。
ここでなら俺はもう一度作業療法士としてやっていけるかもしれない。そう思った僕は、1か月のお試し期間(?)が終わり、上に「僕をここで働かせてください」と頼みました。 上もホッと一安心した様子でしたね。
それから僕は再び作業療法士として働きます。 尊敬するスタッフ、適切な仕事量、のびのびと働いている自分。本当に満たされた、穏やかな日々でした。 そして、そんな何一つ不自由のない日々を過ごすうちに、異動になってからあっという間に1年が経とうとしていました。
ループするだけの毎日に疑問を抱く
そのころの僕は新しい部署に慣れたはいいものの、マンネリ化した日々を送っていました。マンネリを打破するために新しい作業療法を取り入れたりもしましたが、根本的な解決にはなりません。
恵まれた職場、安定した生活。べつにこのまま生きていくことはできる。何一つ不自由はない。
でも、定年退職するまであと40年間、この生活をひたすら続けていくのか? そう思った瞬間、正直ゾッとしました。よく「将来が見えなくて不安になる」という言葉を聞きますが、僕は自分の将来が見えすぎて怖かったのです。
定年退職するその日まで、今と同じような毎日を繰り返す自分が容易に想像できたから。自分が今まで目標にしていた「安定した生活」を実現させて、ようやく気づきました。 安定した状態というのはゴールではなく、最初に目指すべきスタートラインだったのだと。安定した生活を手に入れたことで僕は「次のステップに進みたい」そう思うようになっていました。 マラソンの第一ポイントに着いたことで、ようやく次に進むべき第二ポイントが見えてきた、という感覚でしたね。
フリーランスになると決める
それから僕は人生、幸せ、仕事、お金、についてむさぼるように情報を集めました。 そして、次のような価値観を持ちます。
- 作業療法士じゃ金銭的にも時間的にも豊かになれない
- 時間の切り売りから抜け出す必要がある
- 自分の市場価値を高めることだけに時間を費やしたい
- 安定なんていつでも手に入る、もっと挑戦したい
- 環境や人間関係に左右されない働き方をしたい etc……
とまあ、いろいろ挙げましたが単純に誰かの下で働くことが自分には合わなかったのだと思います。 そして、少しずつフリーランスになりたいと思うようになりました。 フリーランスの職種を調べ上げたうえで「自分には何ができる?」と考えた結果、僕はWebライターになることを決意します。
デザインもプログラミングもできないけど、文章を書くのは俺にもできる!という実に浅はかな考えで。新しい部署に配属されて1年が過ぎたころ、異動先の上司に「仕事を辞めてフリーランスになろうと思っています」と相談をしました。 新しい部署に慣れ、ようやく戦力として育ってきたこのタイミングでこんなことを言うんだから、迷惑なやつですね。
今まで良くしてくれた大好きな上司に、こんな話を切り出すのは本当に断腸の思いでした。 でも、自分の人生を後悔しないものにするためには、そうするしかなかったのです。そこから上司と何度も話し合った結果、僕は異動して2年、社会人になってちょうど3年経った3月いっぱいで作業療法士を辞めました。
僕がフリーランスになった経緯はこんな感じです。 数年後に「自分の選択肢は正しかった」と胸を張っていえるよう、現在はひたすらキーボードをたたいております。
以上が僕のプロフィールとなります。こんな長い記事を最後まで読んでくださり、ありがとうございました。 もし、お仕事に関するご相談などございましたら、TwitterのDM(@imoto_akira)もしくは下記のお問い合わせフォームまでお気軽にご連絡ください。