どうせ死ぬのになぜ生きるのか、を真剣に考えてみた

こんにちは、人生哲学の探究者あきら(@imoto_akira)です。

 

どうせ死ぬのに、自分はなぜ生きるんだろう?

 

みなさんも一度はこんなことを考えたことありませんか?

 

ちなみに病んでるわけじゃないです(笑)

ニュートラルな状態でたまにこんなことを考えちゃうんですよね。

でも、自分なりに1つの結論を出してからは「なぜ生きるのか」を考えることが少なくなりました。

 

この記事が「どうせ死ぬのになぜ生きるのか?」と考えて過ぎてしまう方の参考になれば幸いです。

 

結論からいうと、僕は「生きること自体に意味はない」と思っています。

 

しょっぱなからネガティブですいません^^;

でもこの記事は最終的にそこそこポジティブなところに着地するので、ぜひ最後まで読んでみてください。

 

 

「なぜ生きるのか」を考えてしまうのは当たり前

そもそも「なぜ生きるのか」を考えてしまうのは、人として生まれた”副作用”であり、仕方のないことだと思います。

 

例えば、動物のチーターは、より確実に獲物を狩りたいと進化をした結果、時速120キロの高速ダッシュを手に入れました。

 

アタマをより小さくしたことで、風の抵抗を受けずに走れるようになったのです。

しかしアタマが小さくなったせいで、アゴの力まで弱くなってしまいました。

 

そのため獲物のノド元に噛みついてもしとめるまでに時間がかかり、その間にハイエナに横取りされてしまうそう。

 

「じゃあもっとアゴをデカくして、噛む力を強くすればいいじゃん」という話ではないですよね。

そうすると今度は走るのが遅くなり、獲物を狩れずに餓死しちゃいます。

 

 

人が「なぜ生きるのか」と考えてしまうのはこの話と似ているな、と。

 

人間は生き残るために「知能が必要だ」と思った結果、脳が大きくなりました。

 

そうして頭が良くなりすぎた結果「そもそも自分は何のために生きてるんだ?」と生物として本来は考えなくていい、余計なことまで考えるようになってしまったんだろうな、と思っています(笑)

 

かといって「じゃあもっと知能を下げよう」とはなりませんよね。

こんな爪も牙もない生き物から知性を奪ってしまったら、人間なんて一瞬で絶滅するでしょう。

 

 

というわけで、人として生まれてしまった以上「自分はなぜ生きるのか」と考えてしまうのはしょうがないことだと思うんですよね。

 

 

最後はどうせ死ぬ

最後はどうせ死ぬ

僕が「生きることに意味なんてない」と考えている最大の理由がこれです。

 

人はいずれ死ぬし、死んだらそこで終わり。

 

これ、ポケモンで例えるなら

チャンピオンを倒したらゲームクリアです。ただし、クリアしたら手持ちのポケモンも道具もお金も全部消えます。

 

っていうのと同じだと思うんですよね。

こんなゲームやる意味ないわ、ってなりません?(笑)

なんか、そんな感じなんですよね。

 

いずれ終わる人生をどう生きるか

いずれ終わる人生をどう生きるか

生きる意味がないなら、自分にとっての人生っていったいなんなのだろう?

と今まで考えに考え、一つの答えを出しました。

 

僕にとって人生は「死ぬまでの暇つぶし」です。

これは、みうらじゅんさんのことばですね。

 

人生は死ぬまでの暇つぶし、なんていうと「ちゃんとまじめに生きろ」とか言われちゃいそうですが、それは誤解です。

 

僕にとっての「暇つぶしの定義」は

  • 作業自体を楽しんでいること
  • 夢中になっていること
  • 全力を出していること

 

この3つをクリアしていることが条件です。

だから僕が自分の人生は壮大な暇つぶしだ、というのは「人生を思いっきり楽しんでやる」という覚悟でもあります。

 

本気で取り組み、本気で楽しんでこその暇つぶしですからね。

 

この3つの条件のうち、どれか一つでも欠けてしまうと、それは暇つぶしではなく、ただのつまらない作業になってしまうと思うんです。

 

 

僕が生きるわけ

僕が生きるわけ

俺が生きる意味はなんなのだろう? 俺がやるべきことってなんだ?

と過去の僕は自分の人生に意味を見出そうと必死でした。

 

生きる意味がないなんて「自分は空っぽな人間です」と言っているような気がしてたから。

 

でもたくさん考えた結果「人生に意味なんてなくていい」と最近は思うようになりました。

 

「クリアしたらデータが全部消える、じゃあお前はそのゲームをやらないのか」と聞かれたら、「ゲームをしてるときは楽しいからやる」と僕は答えるでしょう。たとえ意味がなくても。

 

 

だって「クリアするまでの過程」って楽しいじゃないですか。

 

人生でも同じことが言えると思うんですよね。

けっきょく僕が意味のない人生を生きるのは「つらいことも悲しいこともたくさんあるけど、なんだかんだ人生は楽しいから」だと思います。

 

人生には楽しい瞬間がたくさんありますよね。

  • おいしいものを食べたとき
  • だいすきなマンガの最新刊を読むとき
  • ペットとじゃれあう時間
  • 自分の成長を実感したとき
  • 冬にコタツで雪見だいふくを食べるとき etc.

 

「やる意味がない=やる価値がない」ではありませんし「やる意味がない=やる気がない」でもありません。

 

人生には意味がないと思っていますが、僕は人生に対してやる気マンマンです。

 

せっかく生まれてきたんだから死ぬまで楽しみたいなあ、と思っています。

 

 

【おわりに】人生観なんて人それぞれ

【終わりに】人生観なんて人それぞれ

僕は「生きることに意味はない」という考えに至りました。

 

しかし「生きることに意味はある」という考えもすばらしいと思います。

考え方や価値観は十人十色だと思うので。

 

例えば自転車のチェーンが外れて、泣いている男の子がいたとします。

 

そのとき、あなたが自転車を直してあげて、男の子が再び自転車に乗れるようになったら、それだけであなたの人生に意味はあった、という解釈もできますよね。

 

「事実というのは存在しない。存在するのは解釈だけである」ってニーチェも言ってますし。

 

 

それにしても、考えだすとキリがないことを言語化するのは、楽しいけど疲れちゃいますねw

というわけで今日はこのへんで(^^)/